『越中人もしくは恋は美人画』と越中おわら風の盆について

私がモリエール原作を翻案した『越中人もしくは恋は美人画』のお金持ちの大将を越中人(富山県人)としたり、原作で出て来る踊りと音楽をおわら風の盆に設定したのは次のような経験をしたからである。

おわら風の盆富山県富山市八尾地区で毎年9月1日から3にかけて行われる。ずっと見たかったおわら風の盆が見られた。

富山市にあるル・ジャルダン・デ・サンスというフランチレストランの小室オーナーシェフに誘われて、おわら風の盆を見る機会を得た。小室シェフが店子となっているビルのオーナー、すなわち大家さんが我々も招待してくれるという。当初、半信半疑だった。というのも、我々は縁もゆかりもないのに、八尾にある大家さんの別荘で食事をご馳走になった上に、家の前で演奏と演舞を鑑賞できるというからだ。しかし、こんな機会はまたとないのでありがたく招待を受けることにした。

2016年9月、八尾に到着すると体育館と思しき場所に観光客用の演舞場が設営してある。街中まで入って巡回してくる踊り手を待つだけの時間がない人はここで雰囲気を味わうのだろう。

街を歩くと宵闇の迫る街並みに演舞を待つ人々がそぞろ歩いている風景が見える。我々もその中に混じってお盆の風情を感じている。

風の盆の開始を待つ妻と私

そろそろ夕日も落ちて来て、いよいよ雰囲気が盛り上がって来た。

大家さんの別荘に入るとおわら風の盆の時期だけしか使わないだろう別荘の中は様々な調度品に混じって風情ある書画に暖簾などの家具で飾られている。

一人一人に振舞われるお膳が美味しそうな料理で満載である。ただただ感謝だった。

2階の窓から遠くに聞こえる演奏と踊り手の到着を待つ群衆を見ると、どんどん期待が高まってくる。

そして、玄関前の特等席で座っている私たちの前に、踊り手と演奏者が到着してついに演舞が始まるのであった。

最初は男踊りである。

途中から女性の踊りが入る。Wikipeidaの「越中おわら節」によれば、この踊りは以下のような流れになっている。

新踊りはさらに「男踊り(かかし踊り)」と「女踊り(四季踊り)」に分かれる。男踊りの所作は農作業を表現しており、所作の振りを大きく、勇猛に躍り、女踊りの所作は蛍狩りを表現しており、艶っぽく、上品に踊るのが良いとされる。この男女の新踊りは、昭和初期に川崎順二と親交のあった日本舞踊家・若柳吉三郎によって振付けられた主に舞台演技用の踊りである。まず女踊りを当時八尾にも多くいた芸鼓たちに振り付け、その後男踊りを振付けた。もともと女踊り(四季踊り)にだけ唄に合わせた四季の所作が入っていたが、近年では男女混合で踊るときにペアを組んで妖艶な所作を入れたりもしている。なお、この所作は八尾の各町内ごとにいろいろと改良工夫がなされており、おわら踊りの特徴の一つとなっている。

まず言っておきたいことは、他で行われている盆踊りと全く違うということである。盆踊りの特徴は誰でも踊れる群舞だということである。それと対極にあるおわら風の盆は、修練を積んだ踊り手しか踊らないということである。1、2度手ほどきを受けた素人では踊れない非常に高度なパフォーマンスだからである。

男踊りの振り付けの複雑さは、とりわけポージングとタイミングの難しさにある。ポージングの囃子音楽との微妙なズレと緊張感はこの踊りの真骨頂だろう。また、一見ロボットのような身振りは、本来の地唄舞や日本舞踊の踊りとは一線を画していて、ある点では人形振りの技術を取り入れているのかとも思われる。

女踊りの方がまだ日本舞踊の本来の手が使われているように思う。ただ、日本舞踊や地唄舞にはない、上半身を後ろにそらした姿勢の維持の振り付けは、おわら風の盆の独特な振り付けである。

男女ともに顔を編笠で隠して同じスタイルでする群舞は、西洋の個性との対比を考えさせられる。西洋の個性と日本の没個性という外面上の対比の深部には、個性的な外面の深部にある同一性、同一性の外面の深部にある個性という逆説的な人間性が垣間見えるのである。

この体験を通じて、立場を変えて自分なら同じことができるだろうかと思うと、越中富山のお大尽はなんと鷹揚な方だろうと心から感心した。

 

『よみがえる時』ー金沢市の姉妹都市ナンシーについて

『よみがえる時』は高浜眞子(実は妻の中田たか子)が2015年のテレビ朝日のシナリオコンクールに応募した作品であるが、残念ながら落選した。

高浜真子は2007年から『泉鏡教授の探偵旅行』をはじめとした探偵小説を書いていた。泉鏡教授の探偵旅行は最初、金沢から始まっていた。

上の画像は『泉鏡教授の探偵旅行』の表紙で、兼六園の徽軫ことじ灯籠とうろう 1の写真である。

泉鏡教授はフランスと関係のある研究をしていたので、金沢とフランスを結びつける映画のストーリーを考えた時、金沢と姉妹都市であるナンシーというフランスの都市との関係を思いついたのである。(落選した時、日本のテレビ局の求めているシナリオは海外ロケを必須とするストーリーは対象外だとわかった。特に最近のテレビは制作費の切り下げの影響もあって、ロケは日本国内に限っている。しかし、これだけ日本人の海外旅行が普及している現在、舞台を日本に限るというのは如何なものか?)

ところで、シナリオはこのようなものだった。

「フランス・ナンシー市に住む六十七歳のソフィーは、四十五年前の日本人の立山たてやま恭助きょうすけとの思い出に生きている。当時、立山は金沢市・ナンシー市姉妹都市提携の準備のために、日本の金沢市から派遣された陶芸作家であり、ソフィーはナンシー派美術館の受付嬢であった。二人はその時恋に落ちたのであった。三年後ナンシーを訪問した立山はソフィーが結婚して仕事をやめたことを知らされた。」(以下、『よみがえる時』を参照)

2017年3月、LIVREPARISでパリに滞在する機会を利用して、行っていなかったナンシーを訪ねることになった。パリ東駅からナンシーまで、TGVで90分程度だから日帰り旅行としては快適な距離だろう。先に書いたように、ナンシーは金沢との姉妹都市提携をしている。ところで、姉妹都市という表現は英語も日本語も同じだが、フランス語では双子都市という言い方をする。僕はどちらかというとこのフランス語の表現が好きだ。 2

それはさておき、ナンシーは美しい街である。世界遺産になっているスタニスラス広場には、市役所、美術館、オペラ劇場が広場を囲んで美しい姿を見せている。

スタニスラス広場

広場と駅を結ぶアンリ・ポワンカレ通りにはアール・ヌーボーの門が美しい商工会議所がある。

ナンシー商工会議所

アール・ヌーボーの門がいかにもナンシー派を表している。

Nancy-ville駅

 

以下にお見せするのはDozoDomoの記事 PROMENADE DE KANAZAWA À NANCY(ナンシーの金沢散歩道)である。ナンシーにおける姉妹都市関係の情報である。 3

最初のフランス語だけ翻訳しておこう。

les villes jumelées
Kanazawa est jumelée avec Nancy depuis 1973. En 1998, pour commémorer les 25 ans du programme d’échange, la ville japonaise a offert une lanterne, aussi appelée Kotoji tôrô, représentative de sa culture, à la ville Lorraine. Cette lanterne, possède une jumelle originale disposée au Kenroku-en, le jardin public de la ville de Kanazawa, considéré comme l’un des plus beaux du Japon. Le Kotoji tôrô, dont la caractéristique est d’avoir des pieds courbes et de longueurs différentes, est l’emblème du Kenroku-en.

「姉妹都市

金沢は1973年からナンシーと姉妹都市となった。1998年、姉妹都市提携25周年を記念して、日本の都市(金沢)はその文化を象徴する徽軫ことじ灯籠という名の灯篭をロレーヌ州の都市(ナンシー)に贈呈した。この灯篭は、日本で最も美しい公園の一つとされる金沢市の公園、兼六園に置かれたオリジナルの双子灯篭となった。二つの長さの違う二本の足をもつ徽軫灯籠は兼六園の紋章である。」

最後は、金沢の近江町市場にあるフレンチ料理店 La Cook Mignon-ラ・クックミニヨン の美人姉妹が実際に行った写真をご本人の了承を得て載せます。

金沢の美人姉妹がナンシーの金沢散歩道プロムナードにある徽軫ことじ灯籠とうろうの前に立つ

Notes:

  1. 琴柱ことじとも書く。琴柱は楽器の琴の糸を支えるのことで、琴の胴の上に立てて弦を支え、音を調節する道具。灯篭の姿がその柱に似ていることから名付けられた。
  2. 金沢とナンシーの姉妹都市の締結について詳細はhttp://www4.city.kanazawa.lg.jp/data/open/cnt/3/11154/6/shimaitoshigaiyou.pdfにあるので、関心のある方はご覧ください。
  3. このサイトは日仏交流について非常に魅力に富んだ記事を掲載している。

かなざわ東西主北の題名について

かなざわ東西主北』は著者としては自信を持って書いた戯曲だったが、第5回 泉鏡花記念金沢戯曲大賞に応募して落選した作品である。こういうコンクールは審査基準や方法が不透明で、入賞作品を見ても全く納得したためしがない。それはさておき、拙著のストーリーはこのページで確認していただくことにして、ここでは題名の由来について書いてみる。

戯曲の舞台は金沢の花街、くるわである。金沢の茶屋街は日本全国のなかで京都についで有名になっている。さて、題名の『東西主北とうざいしゅほく』は当然のことだが「東西南北」のもぢり・・・である。郭はいいが、どうして東西南北ではないのか。

実は、金沢の郭は江戸時代から始まるが、東郭ひがしのくるわ(現在はひがし茶屋街Higashi Chaya districtと呼ばれている)、西郭にしのくるわ(にし茶屋街Nishi Chaya District)は比較的早くから栄えていたようだ。

ひがし茶屋街

にし茶屋街

この東・西という方角はもちろん金沢城を中心にした方角で、南が入っていない。城の南側は武家屋敷を中心とした領域で、ここには歓楽街は排除されていたからである。また、物の本によると、北郭は比較的短期間あったとされているが、最終的には東に吸収され、そのかわりのように主計町かずえまちKazuemachi ができたようだ。こうして、今日では東・西・主の3茶屋街が残ったのである。そこで、本の題名を主計町の主(音読みで、シュと読む)をとって東西主北とうざいしゅほくとしたのである。

主計町茶屋街

それにしても、金沢ゆかりの戯曲に遊郭を取り上げたのか。実は、筆者は金沢で生を受けたが、祖母は西郭にしのくるわで芸者置屋おきやを営んでいた。戦前には廃業していたが、作家の島田清次郎とは同じ西郭に縁があったので顔を合わせる機会があっても不思議はない。

祖母は廃業してからは、現在でも鍋料理の名店として繁盛している太郎(上の写真は主計町の太郎)の先々代の女将の兄と結婚して主計町に住んで、三味線と小唄の師匠をしていた。そういう意味で祖母はずっと花街に縁のあった人であった。私の中では金沢といえば生まれてこの方、郭と無縁ではなかったのである。

主計町の芸妓・桃太郎さん 1

Notes:

  1. 僕のtwitter友達

WPMLとContact Form 7の不具合について(解決編)

WPML
他のページと同じように、会社情報と連絡方法というページを作った。いつもと同じくこのページにもそれぞれフランス語と英語のページを作った。

作り方は以下のようなやり方である。このページ「WPMLとContact Form 7の不具合について」を例示しよう。


まず、New pageあるいはNew postを作る。するとWPMLが予め決めてある他言語の関連ファイルの準備をする。

親子ページ

これが親ページ、親ポストになる。上の図の英語、フランス語の+をクリックすると子ページ、子ポストができる。

上の図ののマークがついているのは、すでに英語とフランス語の関連ファイルができていて、オリジナルの日本語ファイルが変更されていて、残りの2ファイルがアップデート待ちのマークである。

ページができると、実際には日本語ページでは以下のように他言語のページへのリンクが現れる。


Contact Form 7による連絡フォーム

さて、そのページには他のページとは違って連絡フォームをつけることにした。

連絡フォームは相手への確認メールを送るためにJetpackにあるフォームではなく、プラグインのContact Form 7を使うことにした。Contact Form 7で日本語のフォームをもとに、英語とフランス語のフォームも、ちょうどWPMLで多言語ページを作るようにコピーして表示するテキスト部分だけを英語・フランス語に翻訳して貼り付けた。

日本語のページにつけた日本語のフォームは問題なく動作するが、英語とフランス語のページにつけたフォームはどちらも動作しない。Contact Form 7をいくらいじってもうまくいかない。もうお手上げ状態だった。

独立ページを作って解決

もしかしたら親ページの日本語のフォームと子ページの英語・フランス語のフォームとが競合して不具合になるのかもしれないと考えた。解決法としてそれぞれ別のページを作った。つまり3つのページがそれぞれ親ページになるということだ。案の定、問題は解決した。つまり、どのページもそれぞれフォームが動作したのである。こうして会社情報と連絡方法というページは親子関係のない独立した3つのページになったのである。

今日、別のページで確認したが、やはり親ページなら問題なく動作した。


その後、WPML.orgのエラー報告のサイトで以下の解決策を発見した。残念ながら日本語のフォーラムはなく、英語のフォーラムしかないので以下に原文をそのまま掲載する。原文の下に翻訳を掲載する。

Symptoms

Submitting the form in the secondary language fails. This producess (produces?) the below console error:
xxxxx/wp-json?lang=es/contact-form-7/v1/contact-forms/XXX/feedback 404 (Not Found)

This issue occurs only when setting the language URL format to “Language name added as a parameter“.

Workaround

Add this code to the theme’s functions.php file, found in the ../wp-content/themes/theme-name/folder:

1
add_filter( 'wpcf7_load_js', '__return_false' );
症状
セカンダリ言語でフォームを送信すると失敗します。以下のコンソールエラーが発生します。
xxxxx / wp-json?lang = es / contact-form-7 / v1 / contact-forms / XXX / feedback 404 (Not Found)
この問題は言語URL形式を「パラメータとして追加された言語名」に設定する場合にのみ発生します。
回避策
このコードを../wp-content/themes/theme-name/フォルダにあるテーマのfunctions.phpファイルに次の文字列を追加します。
1
add_filter( 'wpcf7_load_js''__return_false' );
 おかげさまで解決しました。ありがとうございました。

島田清次郎のこと

弊社出版物『かなざわ東西主北』は金沢の花街に題材を取った戯曲であるが、そのなかの登場人物に島田清次郎がいる。島田清次郎は1899年(明治32年)2月26日 – 1930年(昭和5年)4月29日 わずか31歳でこの世を去った夭折ようせつの天才と言うべき作家であった。三文豪と称される室生犀星、泉鏡花、徳田秋声を始めとして金沢出身(あるいは所縁)の作家や詩人は少なくない。その中で島田清次郎は特異な存在だといえる。

『かなざわ東西主北』のなかで島田清次郎のことを女将とかがみが次のように評している。


女将「島田清次郎さんは最後は精神病院に入れられて病気で死んだってね。吉米楼のところのパネルに書いてあったがね。」

鏡「そうらしいね。統合失調症ということで、今でいう予防拘禁よぼうこうきんということだったんじゃないかな。僕は当時の警察が体良く監獄の代わりにして彼を閉じ込めておいたんじゃないだろうかと思っている。彼は若者の恋愛小説の元祖のように言われていて、映画は大映が作っている。DVDもあるしね。ウィキペディアを見ると、一九六二年にNHKの名古屋放送局でドラマ化したり、金沢の北陸新協という劇団も芝居をやっているらしい。どう言ったらいいんだろう、ある意ニーチェやドストエフスキーを崇拝していたり、ロシア革命に対する共感があったり、われわれのような全共闘世代のハシリなんじゃないかと思う。とにかく、文章を書く能力に関しては天才的だったんだろうね。ただ、どんな若者でも成長するにつれて良くも悪しくも社会性を獲得してバランスがとれてくるものだけど、全共闘運動の中で革命神話にしがみついてどんどん先鋭化していくように、島田清次郎は明治の終わりから大正時代にかけて日本が西欧化する中で育って、革命的なものに傾倒して行く精神構造が出来上がったんじゃないだろうか。当時の文壇はもちろん、もっと国家警察がそういう過激分子の尖兵だった島清に危険な因子を見ていたんじゃないだろうか。のちに映画化したり、テレビドラマにしたのはそういう危険な島清にある種の共感とノスタルジーを感じていた人たちがいたっていうことじゃないかと思うね。」

戯曲の中の回想シーンには島田清次郎本人が登場する。そのなかで島田清次郎は幼馴染の菊乃への淡い恋心を告白する場面があるが、花街育ちだということで強いコンプレックスを隠せない島田と芸者という職業にプライドをもつ菊乃のコントラストが鮮明になる。この菊乃は私の実の祖母がモデルなので、この戯曲は私にとって思い入れの強い作品となっている。

ちなみに、島田清次郎の「地上」は1957年、同名で映画化されている。また、彼の生涯は「涙たたえて微笑せよ-明治の息子・島田清次郎」と題して1995年、NHKで単発ドラマとしてテレビドラマ化されている。


島田清次郎『地上』(地に潜むもの)をEPUBでお読みください。

『地上』

ビューワーはBiB/i(EPUB READER on your Website)を使わせて頂いています。

『地上』は青空文庫を底本にしてEPUB化しました。EPUBファイルはこちらからダウンロードできます。(EPUBファイルはお好きなリーダーでお読みください。ダウンロードして何か問題が生じても当方としては責任を負い兼ねますので、悪しからずご了承ください。)

デュマの戯曲『アントニー』のエピソード

 

「俺を拒んだ,だから殺したのだ!」

ーーアントニーの幕切れーー


 アントニーという主人公は、人妻に対する恋という三角関係の設定からゲーテの『若きウェルテルの悩み』(1774やルソーの『新エロイーズ』の主人公サン・プルー(1761に比較され、主人公の気質の点からユゴーの『エルナニ』(1830年初演の主人公や『マリオン・ド・ロルム』(1831年初演のディディエ(彼も私生児であるやヴィニーの『チャッタートン』(1835年初演)の主人公に比較される。ここで、ディドロの「『私生児』についての対話」、ボーマルシェの『真面目なドラマのジャンルについての試論』、スタンダールの『ラシーヌとシェークスピア』、あるいはユゴーの『クロムウェル』序文といったロマン派劇を準備した理論からみて、『アントニー』がどういう位置を占めるか考えてみよう。ディドロが、そしてディドロにならってボーマルシェが、従来の「悲劇」「喜劇」といった二分法を排して、市民生活に密着した中間的なジャンルの創造を提案したが、ユゴーはその理論を押し進め、その中間的ジャンルのドラマから三一致の法則 1のうち、特に時間と場所の一致を捨てることを提案した。ユゴーは終生韻文劇を捨てなかったが、スタンダールは三一致は勿論のこと、もっと極端に韻文劇そのものの放棄を主張した。ところで、メリメ以来『クロムウェル』(17世紀イギリスにしろ、『エルナニ』(16世紀スペインにしろ、『マリオン・ド・ロルム』(17世紀フランスにしろ、あるいはデュマの『クリスチーヌ』(17世紀スエーデンその他)にしろ、流行は歴史ドラマではあっても、韻文劇であった。しかし、デュマは大胆にも『エルナニ』に先立つこと一年前、コメディー・フランセーズで『アンリ三世とその宮廷』でスタンダールの主張を舞台に乗せたのである。クールール・ローカル(時代色及び地方色)を散りばめた散文ドラマだったのである。

 アンドレ・モーロワがその『アレクサンドル・デュマ』のなかで書いている話は僕が大好きなエピソードである。アレクサンドル・デュマの作家生涯にはエピソードが満載で、枚挙に暇がない。そのなかでもこの話は演劇というものの本質を表しているような気がして私にはとても気に入ったエピソードの一つになっている。


「アントニイ」の成功は根深く継続的なものであった。パリでは百三十回上演された。サロンの人たちがはじめてボルト・サン・マルタン劇場へ来た。地方では、この芝居はいつまでもマリー・ドルヴァルの当り狂言であった。彼女はこの芝居を愛し、その上演に献身した。ある日ルーアンで、無知な劇場支配人が、アント二イが短剣で刺したところで最後のセリフを待たずに幕をおろしてしまった。怒ったボカージュは自分の部屋へ駈けもどり、閉じこもってしまった。観客は、すでに有名な幕切れを期待していたのにそれが見られなかったので、大声に叫んで抗議しはじめた。人の好いドルヴァルは長椅子の上にまえのポーズをとりなおしたが、ボカージュは両び舞台に上ることを拒んだ。

観衆は「ドルヴァル、ボカージュ、どうした」とどなり、椅子をこわすといきりたっていた。このさわぎにおそれをなして支配人は、ボカージュも折れてくれるだろうと期待しながら再び幕を上げた。観衆はしずまった。マリー・ドルヴァルは何とかしなければならぬと感じた。死んだはずの女は身をおこし、立ち上り、舞台の端まで歩いて、言った。「みなさん、私は彼に抵抗しました……彼が私を殺したのです」そして彼女はうやうやしく一礼して、「雷鳴のようにとどろく大喝采に送られて」舞台からひっこんだ。これが芝居というものなのだ。 2


ボカージュ (1801-1863)

マリー・ドルヴァル(1798-1849)


サン・マルタン劇場(パリ)

Notes:

  1. 三一致の法則とは、「時」「場」「筋」の単一を言い、劇中の時間が1日で、1つの場所で、1つの劇的行為が行われなければならないという劇作上の制約
  2. アンドレ・モーロワ『アレクサンドル・デュマ』筑摩書房、1971年、85−86頁

世界で最初に録音された音源「月夜」(フランス民謡)

世界で最初に録音された音源「月夜」(フランス民謡)

鎌倉で行われる「チャリティコンサートvol.6」のページで紹介されたフランス民謡の「月夜」Au clair de la lune を調べていたら、なんとエジソンより前に、エドゥアール・レオン・スコット・ド・マルタンヴィル( Edouard-Leon Scott de Martinville )というフランス人が発明した録音装置フォノトグラフ(phonautograph)に録音されていたという。 1

その音声データが次のYouTube動画である。すごく勉強になる。

『迷宮の彼方』印刷本が出版されました

高浜眞子著『迷宮の彼方』の印刷本が本日出版されました。

プリントオンデマンドによる印刷本は下の画像をクリックするとAmazonのページにジャンプします。原稿用紙400枚を超えるミステリー大作です。

迷宮の彼方(プリント・オン・デマンド)

あらすじ

フランスのマルセイユ沖のイフ島でフリーランスの芸能記者・立林吉三郎が殺された。友人の宮田晴夫は立林から巨大な迷路に迷い込んで朽ち果てるかもしれないという謎めいたはがきを受け取っていた。宮田は主人公エドモン・ダンテスがイフ島に無実の罪で収監される『モンテ・クリスト伯』を書いたデュマの研究家である自分との因縁を感じて、殺人事件の真相を究明するために古い友人でエクサンプロヴァンスに住むセザンヌ研究者の道木沙里亜を頼って渡仏する。立林のスマホに残された写真から日本の俳優土橋航と女優美鈴とそのマネージャー深見純二の三角関係の追跡取材をしていたらしい。イフ島に行った宮田と沙里亜が日本製のサバイバルナイフを発見し、立林の死体の傷口と一致することがわかる。間もなく、マネージャーの深見の遺体が今度はモンテクリスト島で発見された。モンテクリスト島で何が起こったのか調べていくと、マルセイユのマリーナから土橋と美鈴が一週間クルーザーを借りていることがわかる。

詳細ページを御覧ください。


2011年にマルセイユ沖のイフ島に行ったときの動画を紹介します。

ブログでマルセイユとIF島を紹介しています。ご興味のある方は御覧ください。

『よみがえる時』の印刷本が出版されました

高浜眞子著『よみがえる時』の印刷本が出版されました。


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よみがえる時(プリント・オン・デマンド)

この本はフランスのナンシー市と日本の金沢市が姉妹都市であることから生まれた哀愁に満ちた恋愛物語の映画台本です。

「フランス・ナンシー市に住む六十七歳のソフィーは、四十五年前の日本人の立山たてやま恭助きょうすけとの思い出に生きている。当時、立山は金沢市・ナンシー市姉妹都市提携の準備のために、日本の金沢市から派遣された陶芸作家であり、ソフィーはナンシー派美術館の受付嬢であった。二人はその時恋に落ちたのであった。三年後ナンシーを訪問した立山はソフィーが結婚して仕事をやめたことを知らされた。」(梗概より)

詳細ページはこちらにあります。