島田清次郎のこと

2019年12月17日金沢, 琴柱灯籠

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弊社出版物『かなざわ東西主北』は金沢の花街に題材を取った戯曲であるが、そのなかの登場人物に島田清次郎がいる。島田清次郎は1899年(明治32年)2月26日 – 1930年(昭和5年)4月29日 わずか31歳でこの世を去った夭折ようせつの天才と言うべき作家であった。三文豪と称される室生犀星、泉鏡花、徳田秋声を始めとして金沢出身(あるいは所縁)の作家や詩人は少なくない。その中で島田清次郎は特異な存在だといえる。

『かなざわ東西主北』のなかで島田清次郎のことを女将とかがみが次のように評している。


女将「島田清次郎さんは最後は精神病院に入れられて病気で死んだってね。吉米楼のところのパネルに書いてあったがね。」

鏡「そうらしいね。統合失調症ということで、今でいう予防拘禁よぼうこうきんということだったんじゃないかな。僕は当時の警察が体良く監獄の代わりにして彼を閉じ込めておいたんじゃないだろうかと思っている。彼は若者の恋愛小説の元祖のように言われていて、映画は大映が作っている。DVDもあるしね。ウィキペディアを見ると、一九六二年にNHKの名古屋放送局でドラマ化したり、金沢の北陸新協という劇団も芝居をやっているらしい。どう言ったらいいんだろう、ある意ニーチェやドストエフスキーを崇拝していたり、ロシア革命に対する共感があったり、われわれのような全共闘世代のハシリなんじゃないかと思う。とにかく、文章を書く能力に関しては天才的だったんだろうね。ただ、どんな若者でも成長するにつれて良くも悪しくも社会性を獲得してバランスがとれてくるものだけど、全共闘運動の中で革命神話にしがみついてどんどん先鋭化していくように、島田清次郎は明治の終わりから大正時代にかけて日本が西欧化する中で育って、革命的なものに傾倒して行く精神構造が出来上がったんじゃないだろうか。当時の文壇はもちろん、もっと国家警察がそういう過激分子の尖兵だった島清に危険な因子を見ていたんじゃないだろうか。のちに映画化したり、テレビドラマにしたのはそういう危険な島清にある種の共感とノスタルジーを感じていた人たちがいたっていうことじゃないかと思うね。」

戯曲の中の回想シーンには島田清次郎本人が登場する。そのなかで島田清次郎は幼馴染の菊乃への淡い恋心を告白する場面があるが、花街育ちだということで強いコンプレックスを隠せない島田と芸者という職業にプライドをもつ菊乃のコントラストが鮮明になる。この菊乃は私の実の祖母がモデルなので、この戯曲は私にとって思い入れの強い作品となっている。

ちなみに、島田清次郎の「地上」は1957年、同名で映画化されている。また、彼の生涯は「涙たたえて微笑せよ-明治の息子・島田清次郎」と題して1995年、NHKで単発ドラマとしてテレビドラマ化されている。


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『地上』

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