かなざわ東西主北の題名について

2020年4月19日金沢, 茶屋街

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かなざわ東西主北』は著者としては自信を持って書いた戯曲だったが、第5回 泉鏡花記念金沢戯曲大賞に応募して落選した作品である。こういうコンクールは審査基準や方法が不透明で、入賞作品を見ても全く納得したためしがない。それはさておき、拙著のストーリーはこのページで確認していただくことにして、ここでは題名の由来について書いてみる。

戯曲の舞台は金沢の花街、くるわである。金沢の茶屋街は日本全国のなかで京都についで有名になっている。さて、題名の『東西主北とうざいしゅほく』は当然のことだが「東西南北」のもぢり・・・である。郭はいいが、どうして東西南北ではないのか。

実は、金沢の郭は江戸時代から始まるが、東郭ひがしのくるわ(現在はひがし茶屋街Higashi Chaya districtと呼ばれている)、西郭にしのくるわ(にし茶屋街Nishi Chaya District)は比較的早くから栄えていたようだ。

ひがし茶屋街

にし茶屋街

この東・西という方角はもちろん金沢城を中心にした方角で、南が入っていない。城の南側は武家屋敷を中心とした領域で、ここには歓楽街は排除されていたからである。また、物の本によると、北郭は比較的短期間あったとされているが、最終的には東に吸収され、そのかわりのように主計町かずえまちKazuemachi ができたようだ。こうして、今日では東・西・主の3茶屋街が残ったのである。そこで、本の題名を主計町の主(音読みで、シュと読む)をとって東西主北とうざいしゅほくとしたのである。

主計町茶屋街

それにしても、金沢ゆかりの戯曲に遊郭を取り上げたのか。実は、筆者は金沢で生を受けたが、祖母は西郭にしのくるわで芸者置屋おきやを営んでいた。戦前には廃業していたが、作家の島田清次郎とは同じ西郭に縁があったので顔を合わせる機会があっても不思議はない。

祖母は廃業してからは、現在でも鍋料理の名店として繁盛している太郎(上の写真は主計町の太郎)の先々代の女将の兄と結婚して主計町に住んで、三味線と小唄の師匠をしていた。そういう意味で祖母はずっと花街に縁のあった人であった。私の中では金沢といえば生まれてこの方、郭と無縁ではなかったのである。

主計町の芸妓・桃太郎さん[ref]僕のtwitter友達[/ref]